アオラレ
「あおってんじゃねえ!」
ラッセル・クロウが、日本語でこちらに向かって叫ぶ予告を見た時から、何やら面白そうな雰囲気ががして、絶対観ようと思っていた「アオラレ」。
いつかのドライブレコーダーで見た映像のニュースで、今や当たり前のような事件になったあおり運転が今作の題材です。
車を運転していてあおられた経験って、少なからず誰しもあると思います。
ただそのあおってきたドライバーが、とんでもない殺人鬼だったら・・・。
想像するだけで怖すぎますが、一体どんな展開が待ち受けているのか、確かめなければという気持ちで早速鑑賞してまいりました。
よろしければお付き合いくださいませ。
アオラレの感想
いやいや怖すぎる。
たった一度の些細な出来事で、何もかもが変わってしまう常軌を逸した世界に震える。
「人に優しく穏やかな自分であれ」と思わせれくれた作品。
以下、ネタバレがあります。
- ラッセル・クロウの狂気
- たった一度の過ちで全てが変わってしまう世界
- あおり運転のカーチェイス
ラッセル・クロウの作り込まれた狂気が恐ろしい
出典:https://movies.kadokawa.co.jp/aorare/公式HPより引用。
クラクションを鳴らされたことがきっかけに、な壮絶なあおり運転が始まってしまう今作ですが、ラッセル・クロウが演じるこの男には明確な本人描写がないんですよね。
いわゆるどこぞやにいるおっさんが物語の主人公なわけです。
誰もがこの男のようになってしまう可能性があるんだという、監督のメッセージが込められているような気がします。
とはいえ、絶対この男みたいなことは現実では起きませんと言っておきましょう。
とにかくヤバいんですよこの男が。
まずは冒頭、雨の日の夜にある家の前に止まっている1台の車。
薬を飲んで結婚指輪を外し、マッチに火をつけて思い詰めている男の姿に、すでにただごとではない雰囲気を感じさせます。
次の瞬間、男はハンマーと石油タンクを持ってその家に入って行き、2人の男女を殴り殺して家に火をつけて爆発させるという、いきなりとんでもない事件をやらかしてしまうんです。
これだけでこの男がどれだけヤバいやつかがわかりますね。
そしてクラクションを鳴らされた男は、最初は自分の非を詫びて謝りますが、相手(レイチェル)に謝罪の気持ちがないとわかると態度は一変。
どこまでも相手を追い詰める殺人鬼と化して、執拗にレイチェルを追い回すことになります。
その常軌を逸した行動は本当に恐ろしくて、レイチェルがガソリンスタンドで買い物をしている隙に彼女の携帯を奪い、助けに入ってくれた青年をひき殺してレイチェを追いかけます。
奪った携帯の履歴から、レイチェルの離婚問題を進めている弁護士との待ち合わせ場所に現れて、レイチェルと通話しながら弁護士をその場で殺害。
次にレイチェルの弟に標的を向けて、弟の彼女を弟が持っていたナイフに突きつけて、弟に彼女を殺させてさらに弟にも火を付けて逃亡。
最後はレイチェルの愛する息子を殺そうと、どこにいようとどこまでも追いかけてくる。
これはもうヤバいやつ通り越して、化け物ですよw
警察に撃たれてもお構いなしだし、完全にホラーですね。
何が彼にここまでさせるのかは、詳しくは描かれません。
妻の不倫が原因で別れたことや仕事をクビになったということくらい。
自分は世の中から置き去りにされていると感じ、世間に自分の存在を知らしめたいという理由で、レイチェルを標的にします。
つまり誰でも良かったんですね。
たまたまレイチェルのクラクションがきっかけだっただけで、遅かれ早かれ行動に移していたんだと思います。
失うものがない者の開き直りってすごくパワーがありますよね。
後のことを考えないから、思い切りがいいし後悔もしない。
そんな超危険人物を演じるラッセル・クロウがめちゃくちゃハマっているんですよ。
この役のために体重を増やして、より威圧的で陰湿な雰囲気を漂わせています。
この男の背景があまり見えてこないにも関わらず、どう見てもヤバいやつにしか見えない不安定さも抱えていて。
「レ・ミゼラブル」の歌は上手かったし、「ナイスガイズ」ではコメディもバッチリだったし、ホントに器用な役者さんなんですよね。
彼がこの男を演じたからこそ、この作品が成立したと言っても大袈裟ではないのでしょうか。
とにかく観ていて恐ろしかったですね。
たった一度の過ちが生んでしまう理不尽さが怖い
レイチェルがクラクションを鳴らしたことをきっかけに、常軌を逸したあおり運転が始まるわけですが、このシーンだけ観ると普通に「そんな鳴らさんでもいいじゃん」ってなるんですよ。
その後の男の言い分もおかしくはないし、彼の方から一度謝ってきますし。
むしろレイチェルの方が悪いよねって、観たひとは思うんじゃないですかね。
夫との離婚問題に母親の介護問題、仕事がうまくいってない(これは寝坊ばかりしたレイチェルが悪い)、弟と彼女まで転がり込んでいる、息子を学校まで送る途中の渋滞など、彼女も人生に疲れてしまっているような様子が伺えます。
レイチェルの方も、いろんな事情が重なってのイライラからのあの行動だったわけです。
ただこのたった一度の過ちから、すべてが不幸な未来に変わってしまう。
かろうじて保たれている張っていた糸が、ピンと切れてしまったかのような崩壊の道をたどっていくことに、監督のメッセージが含まれているのではないでしょうか。
他人から見れば、相手の事情なんか知ったことじゃないし、そもそもみんな何か殺伐とした空気感というか、閉塞感というか、何かの拍子で爆発しそうな緊張感を抱えて生活していませんかと言われているかのような気もします。
実際に格差社会も広がる一方ですし、今のご時世もあってみんな余裕がないのはわかります。
それに一度過ちを犯した人を、集中的に非難を浴びせる風潮とか、誰にでも起こり得るなんじゃないのかってことも言っているのかなと思ったり。
あおり運転を通して、色々な問題を抱えて今を生きていることの辛さみたいなものが見えた気がします。
失敗してもちゃんとやり直せるんだと思える世の中になってほしいなと、勝手に解釈した自分がいました。