鎌倉殿の13人の第6話で話題になったシーンがありました。
それは石破山の戦いに敗れた源頼朝らが山中の洞窟で身を隠していたなかで、大庭景親軍の追っ手である中村獅童さん演じる梶原景時が頼朝を発見するも、なぜか見逃しました。
一見すると敵方の大将を討ち取るチャンスを自ら逃したことに疑問なんですが、この出来事がきっかけに、その後の歴史が大きく変わることになる重要なシーンなんです。
そこでこの記事では、梶原景時とはどんな人物なのか、なぜ頼朝を見逃したのかについて紹介していこうと思います。
よろしければお付き合いくださいませ。
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梶原景時は源頼朝をなぜ助けた?
/#吾妻鏡
— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) February 13, 2022
治承4年(1180)8月24日条
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源頼朝の跡を追い、峰や谷を探し回る大庭景親率いる平家方。そんな中、梶原景時が頼朝を見つけますが、思うところがあり、痕跡はないと偽ってその場を立ち去りました。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/guefc1pcp7
「吾妻鏡」によると、景時は頼朝の山中の在所を知るも、情をもってこの山には人跡なしと報じて、大庭景親らを別の山へ導いたといいます。
「源平盛衰記」ではより詳しくこの場面が述べられています。
敗軍の頼朝は土肥実平、岡崎義実、安達盛長ら6騎と、しとどの巌(いわや)の洞窟(現在の湯河原町)へ隠れました。
大庭景親が捜索に来て、ここが怪しいと言うと、景時がこれに応じて洞窟の中に入り、隠れていた頼朝と顔を合わせました。
頼朝はこれまでと自害しようとしますが、景時はこれをおし止め「お助けしましょう。戦に勝ったときは、公(きみ)お忘れ給わぬよう」と言うと、洞窟を出てコウモリばかりで誰もいない、向こうの山が怪しいと叫んびました。
大庭景親はこれを怪しんで自ら洞窟に入ろうとしますが、景時は立ちふさがり「わたしを疑うか。男の意地が立たぬ。入ればただではおかぬ」と詰め寄ったといいます。
これに大庭景親は諦めて立ち去り、頼朝は九死に一生を得たと書かれています。
ドラマではここまでくわしい描写はなく、顔を合わせるのみで、景時が頼朝を黙って見逃していました。
命を救われた頼朝は安達盛長から「大庭配下の梶原景時でございます」と知らされると、「覚えておこう」とその名を胸に刻んでいました。
この後、景時は頼朝の配下として重用せれていくことになりますから、景時は頼朝に恩を売って自分の地位を上げようと思ったのではないでしょうか。
平氏ではなく源氏の頭領である頼朝に乗り換えるということですね。
結果的に源氏は平氏を滅ぼし、鎌倉幕府を築くことになるのですから、景時の時代の移り変わりへの読みは当たったことになります。
景時は先を見る能力に長けていたのかもしれませんね。
今後の鎌倉殿の13人で、ますます活躍する人物になるのでこれからの展開が楽しみです。
景時を演じる中村獅童さんにも注目ですね。
梶原景時ってどんな人物?
梶原景時は、後の鎌倉殿の13人のひとりとして活躍することになりますが、生年月日がわかっていない謎の人物でもあります。
先祖をたどると坂東八平氏の鎌倉景正で、大庭景親と同じ一族です。
/#大庭景親(おおば・かげちか)#國村隼
— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) December 10, 2021
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平清盛の信頼厚い相模一の大物。平家の威光を背景に「坂東の後見」とも言われる影響力を持つ。挙兵する頼朝の前に大きな壁となって立ちはだかる。#鎌倉殿の13人
次週に続きます。 pic.twitter.com/SX1GsHgzCq
梶原氏は大庭氏と同じく、もともとは源氏に仕える家人でしたが、平治元年(1159)の平治の乱で、源頼朝の父である源義朝が平清盛に敗れると、その後は平氏に仕えることになります。
そして今回の石橋山の戦いにおいて、大庭軍は頼朝軍を追い詰め、頼朝が身を隠した場所を突き止めた景時が、頼朝を見逃すという行動に出ました。
その後は頼朝の配下となり、一連の出来事の件もあったのか、頼朝に重用されるようになりっていくことになります。
梶原景時のことを語るうえでもうひとつ欠かせないのが、頼朝の弟、義経との確執です。
文治元年(1185)の屋島攻撃の際に、景時と義経は逆櫓(さかろ)の策で争ったという逸話があります。
逆櫓(さかろ)は船を前後に漕ぐことができるように取り付ける櫓のことなんですが、これをつけるつけないの意見の違いが、両者の間で激しい口論を生み、一触即発になったと言います。
結局は義経の独断で行った奇襲が成功して戦いには勝利しましたが、二人の仲はより険悪なものとなりました。
景時は、義経の強引なやり方で進めることに対しての不満を、頼朝に密告して義経に対する印象を悪くするように働きかけていたのです。
結果的に、頼朝と義経の関係は悪くなり、義経は頼朝に討たれることになります。
こうしたことから景時は義経を陥れた悪者として描かれることが多く、実際に教養があり、弁が立つこともあり、非常にしたたかな面を持ち合わせている武将であったようです。
まとめ
鎌倉殿の13人の重要人物、梶原景時について紹介してきましたがいかがだったでしょうか。
あまり評判のよくない人物として描かれることが多いので、三谷幸喜さんの脚本によってどう味付けされていくのか。
物語の中心人物のひとりとして、今後の展開が楽しみですね。
どんどん動き出していく、鎌倉殿の13人の物語により注目していきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。